「削られるのは、政治に参加する『国民の権利』」

吉俣です。

今日の「デーリー東北」に、衆院青森1区の報道がされていました。私の紹介では、「知名度向上へ街頭演説」とありました。最近、取材された記憶がないので、同紙は、あまりいい紹介文を思い起こせなかったのかもしれません。
知名度がゼロに近いことは自覚していますが、「日本共産党」という知名度は抜群です。さらに、いま街頭で一生懸命訴えているのは、私の名前ではなく、21世紀の日本の進路と党の姿。「くらしと権利を学ぶ、『ルールある経済社会へ』」「『自主・自立の平和外交』を確立し、軍事同盟絶対の政治を抜け出そう」という二つの旗印を語っているつもりです。ときどき街頭で宣伝しているので、何をしゃべっているのか聞いていただき、批判も含めてご意見をいただければ幸いです。

月曜日か火曜日かの「東奥日報」に、共同通信編集委員の川上という方の一文が掲載されていました。「国会議員定数論議/国民の権利 なぜ削る」というタイトルです。
比例定数の削減を「国会議員みずからが身を削る」と、いかにも美談のように語られる昨今ですが、そういうなかで、注目した論調でした。
全体を紹介したいところですが、いくつか紹介すると。

「国会議員は政治に直接参加できない国民の『代表』として国政に携わる。その定数を減らすのは、国民の幅広い意見をくみ上げるパイプを細くすることになる。削られるのは政治に参加する『国民の権利』ではないか」
「今話題となっている世襲候補制限の狙いの一つは、幅広い人材登用のための門戸開放だろう。なのになぜその入り口を狭める定数削減を同時に検討するのか」
「両党〔自民党と民主党〕が削減を掲げるのは世間受けすると考えるからだろう。つまり『無駄な議員が多いと国民が思っている』と現職議員が自ら認めているわけだ。それならば『定数削減』よりも『無駄な現職議員の交代』が先決ではないか」

筆者は、日本の議員数がG8諸国と比べて少ないことも指摘しています。また、定数の適正規模を議論する際には、「『代表民主制』にかかわる問題だ」ということを忘れずにすべきだ、と釘をさしています。

なかなか的を得た論評だと思って学ばされました。

昨日の「しんぶん赤旗」によると、BSイレブンの番組に共産党・小池参議院議員が出演した際に、ジャーナリストの二木啓孝氏が次のように語っているということです。

「民主党は官僚政治の打破をいうが、監視する側の国会議員を削ってどうするのか」

これもなかなか的を得た議論だな、と思いました。
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by yohimata | 2009-06-11 10:28 | 吉俣が学び考える!!
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