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作家・高村薫さんが語る「政治とカネ」

今日の青森市は、格別に寒かったんです。

そんななか、朝の街頭宣伝をやっていると、雪がしんしんと降ってきます。
しんしんと降ってきた雪が、どかどかという雪になり、気づけば、交差点の向こう側が見えないほどの大雪のなか一時間しゃべっていました。そのこともあってか、今日はとっても寒いです。
風邪ひいたかな・・・

民主党・小沢幹事長が不起訴になった件について、各紙がさまざまに論評しています。
そういうなか、私自身がもっとも腑に落ちたコメントは、作家・高村薫さんのものでした(「朝日新聞」)。
私の感想も含めて紹介すると。

○秘書が勝手に虚偽記載をしたとすると・・・/
「秘書がそこまでした理由こそ、重大だ。単に小沢氏のイメージのために資金の流れを隠したという秘書たちの供述は、一般の常識では意味をなさない」。
民主党のなかで絶対の権力を誇り、地方自治体や業界団体まで”威圧”するほどの力をもっているはずの政治家なのに、秘書に勝手に4億円もの金額を動かされていたのか、ということは考えにくいと思うのです。しかもそのお金は、小沢さんの個人的な資産なんでしょ? 個人的な資産を、四億円も、しかも秘書が勝手に、動かしたと思えますか?

○虚偽記載は「単なるミス」なのか?/
「今回の容疑が政治資金収支報告書の虚偽記載であった以上、小沢氏は有権者に対しても、取るべき思い政治的責任がある。有権者にとって、虚偽記載は『単なるミス』ではない。虚偽記載は国民を欺くことだという認識が政治家にない現実を、私達はもっと問題視してよいと思う。/私たち有権者は長年、公正で、透明な政治を求めてきた。それを担保する唯一の仕組みとして、政治資金規正法はある。政党助成金が税金から支給されるようになった今日、同法の意味は極めて思い。それを形式に過ぎないととらえる政治感覚は、有権者を軽んじるものだ」。
私はこの問題が話題になりはじめたころから、「単なる形式犯なのに」といって開き直る政治家を、不信の目でみています。なぜなら、「単なるミスだ」と開き直る人は、実は、その人もその罪を犯していることを自覚しているんじゃないかと思うからです。高村さんの言うように、「それを形式に過ぎないととらえる政治感覚は、有権者を軽んじるものだ」と強く思います。

○有権者は何をみていたのか/
「有権者は『小沢氏対検察』といった興味で事態を注視してきたのではない。4億円という現金が不透明に行き来する政治の実態を目の当たりにし、加えて公共事業絡みの献金疑惑さえ浮上するなかで、それでも不正は一切ないと政治家が胸を張る姿を、見つめてきたのだ。/有権者はこれほど大きな資金が動く政治そのものに拒否感を持っている。小沢氏は『政治は数の力』と言ってはばからない。数の力をつくるのが資金であり、そのためにいくつもの政治団体を抱え、金庫を抱えて実力者となる。これは、私たち有権者が自民党型政治と決別したいという思いで誕生させた民主党政権からは、最も遠い政治家の姿ではないか」。
鋭いと思い学ばされました。「小沢氏vs検察」という描き方に、何らかの嫌悪感をもっていたのですが、この一文ですっきりきました。私なりに言い換えると、国民は、「小沢氏vs検察 仁義なきたたかい」というような、ちょっとしたワイドショーをみている感覚でいたわけじゃないということです。もっと真剣に、そして、もっと怒りを込めて見ていたということです。その有権者の目線でこそ、ものを考えるべきだということを学ばされました。

高村さんも嫌悪感をもっているような書き方をしていますが、私も、「政治は数の力」という議論は嫌いです。

政治には、道理が必要だと思っています。何よりも、国民の苦しみに心を寄せる原点が必要だと思っています。
国会議員一人ひとりを「数」としか考えない発想には、その先にある有権者の付託を軽くみる発想すらを感じます。

「政治とカネ」の問題は、政治とはなにか、政治家とはどうあるべきか、さまざまな問題を突きつけていると感じました。
by yohimata | 2010-02-05 22:15 | 新しい政治へ
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